にはたづみプロジェクトのウェブサイト作成・管理担当である私はアマチュアジャズミュージシャンです。同じような境遇の方々に対して、私が感じたことを書こうと思います。あくまで個人の主観です。

モダンジャズが過保護なところ

私が主に演奏しているモダンジャズ(ビバップ・ハードバップ・スタンダード・モード等)は、テンポとテーマメロディとハーモニーを持っています。
演奏者同士がこれらを共通言語としてアンサンブルを行っています。
これは、その最低限のルールを守っていれば、全く知らない初めましての人とぶっつけ本番で音楽ができてしまうという、とても便利なシステムではありますが、反面、そのインスタントさ故に、音楽の持つ非常に重要な部分がずっぽり抜け落ちてしまうという危険性をはらんでいます。
つまり、ほとんどアンサンブルを意識しなくても、表面的にはアンサンブルが成立しているように見えてしまう。

※イメージです

ジャズは個人勝負?

「どうせジャムセッションだし、次いつ会うかわからない相手とのアンサンブルなんてどうでもよい」、と思う人もいるかもしれません(以前、あるリズム楽器奏者(!)からそう言われたことがあります)。
でも、そのあなたの演奏は他の演奏者の音と混ざった形で観客(や演奏者自身)の耳に届いている訳です。
自分の打席でヒットさえ打てればチームの勝ち負けなんて関係ない、と言っても、チームメイトのリードの取り方ひとつで、相手ピッチャーが投げてくる玉が変わったりするのと同じです。
意識してもしなくても、どソロやマイナスワン相手に一人で演奏しているのと、生の人間相手にセッションするのでは、プレイは違ってきます。

※イメージです

演奏中聴くべきことは

「いや、俺はちゃんと聴いてるよ」という人でも、聴いているのは、ドレミ等の音程情報とリズムの打点がどこか、ということだけだったりします。
私はむしろ、サスティンのトーン・倍音にこそ、音楽的な情報は多く含まれていると感じています。言葉尻よりも、ニュアンスや表情で発言者の感情が感じ取れるように。
「点」の音選びやリズムにとらわれると、文字通り幅のない、せせこましい音楽になりがちです。
また、その「点」に「当たった」「外れた」と正解探しをして、そこから外れた共演者や自分自身を心の中で責めるようになります(私個人の経験談です)。これが一番マズい。

 他人とのアンサンブルだけでなく自分の演奏に関しても、そういったニュアンスへの意識を持つことは重要だと考えています。
少し前、クラシックの師匠に、「ドを弾くところがレに、四分音符が八分音符になってもいい。ただし、悲しい音が楽しい音に、終わりの音が始まりの音になってはいけない」と、言われました。私の好きな言葉です。

こちらはジャズの師匠

ジャズの演奏を上達させたいからこそ

 そういうことを学ぶために、逆に一度ジャズのシステムを手放してみることをお勧めします。
完全即興で、テンポやコード理論にこだわらず、自分と共演者の音(の裏にある意志)を頼りに音楽を組み立てる。
共演者を理解しようとする心と、命綱もなにもないところから飛び込む意志を試されます。「愛と勇気だけが友達さ」です。

愛と勇気のポーズ

4/27(土) 17時~21時 即興ダンス&ミュージックセッション

そういった即興演奏に触れる機会があります。完全無料なので、ぜひお越しいただければと思います。
こんなにエラそうなことを書いている私の演奏を見ての「お前が言うな!」というツッコミも大歓迎です。

お申込みはメールairsplashtoyama@gmail.comfacebookイベントから。

 
 場所 さいたま市立与野図書館2階視聴覚ホール
 〒338-0002 埼玉県 さいたま市下落合5-11-11

与野本町から徒歩7分
駐車場あり


https://www.lib.city.saitama.jp/contents;jsessionid=2E07CB86DA2D69638FF88118746EDA49?0&pid=44

 文責:たなっか(b)

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