僕にとってソロピアノは原点だ。出発の地でもあり帰り着く場所でもある。
あらゆるやり口を模索しはじめる出発点であり、あらゆることをやり尽くした後に立ち戻る所なのだ。
徹底的にアブストラクトな演奏に終始したこともあるし、一切の即興を廃するような演奏を続けたこともあった。
アーティストが避けて通れない道、自らの表現の難解との格闘。
ある時点から僕自身の表現が、どれほど難解なことに取り組んだとしても、それを聴衆に対してダイレクトに届けることができる自身を持つことが出来るようになった。
難解は何故に生じるのか?表現されたものと自分の魂との距離がそれを生み出す。
若い頃、表現は全て挑戦であった。また試みでもあった。企みもあるだろう。自らの未熟との格闘でもあった。
表現と自分自身との間に挟まっている様々な要素、それらを無視するのではなく、それらに時間をかけて向き合い、そして一つづつ克服していく。
表現は、挑戦が見え隠れしているようではいけない。だが挑戦しなければ一つ上の高みにはたどり着けない。
いろんなアイデアを試し続けなければならない。そして失敗を繰り返さなければ一つ上の高みへは到達しない。
それら沢山の芸術との格闘を経て、美の神との契約を交わすことができて初めて、表現は自らの魂の発露となり、ダイレクトに聴衆に届けることが出来るのだ。それこそが難解との格闘である。
今回は、銀座王子ホールでのライブを収録したアルバムと、15年ほども前の旧作のソロ(vol.2スタンダード、vol.3紡がれた印象)を同時に三枚、旧作は二枚組としてリリースする。
難解との格闘の軌跡としての旧作と、それを終えた今の僕の美との戯れを同時に発表することになった。
そして、ここから僕の新たなる美への挑戦が始まるのだ。

