中村真ブログ 「中村の考え」より転載します。音楽やダンス、その他の表現活動を行う人へ向けた、即興によるアンサンブルの勧めです
即興演奏を、思えば僕は長く続けてきた。
幼少の頃から譜面通り弾くという芸当が苦手だった僕は、ピアノを前にして適当に演奏するということをやっていた。
大学に入った時も、友人である現在NYで活動しているベーシストの植田典子と、ひたすらピアノ連弾で即興演奏に興じていた。
わずかなルールを定めてやる。白鍵だけ使ってやってみる。次は黒鍵だけ、そして僕は黒鍵だけで典子は白鍵だけで、テンポはアリで、テンポも何もない自由なやり方で、最後には完全即興で、など色々と試しては遊んでいた。
即興のいいところは三つ。誰にでも出来る。そして、誰とでも出来る。そしてあらゆるジャンルを飛び越えることが出来る。
全てのジャンルごとに共通の言語のようなルールのようなものがある。ジャズのような比較的自由な音楽ですら、その中の言語を知らないとお話をすることが出来ない。
だが、即興には言語もルールもない。例えていうならば、即興とはジェスチャーみたいなものだ。
英語ができなければ英語で話すことはできないが、イギリス人にジェスチャーで自分の意思を伝えることは出来るだろう。
それと同じことだ。
しかし、例えばご飯を食べるということを伝えるとしたら、日本人ならば茶碗を持って箸でご飯を食べるジェスチャーをする人が大半だろうが、フランス人ならナイフとフォークで、アメリカ人ならばハンバーガーを食べる仕草をするかもしれない。
そういった、異なる仕草をすることから自らの出自の違いを、例えばコンテンポラリーダンサーのする即興と、バレエダンサーのする即興の違い、そういったことを垣間見ることが出来るのも、即興の面白さの一つだろう。いわば異文化コミュニケーションだ。
だが即興が苦手だというアーティストは多い。意外なことにジャズのミュージシャンにその傾向が見られる。
即興にはルールはないが、これがないと出来ないということがある。
それは、何かを伝達したいという意志のない者には出来ないということだ。
ハンバーガーが食べたい、という気持ちがあっても、それを伝達する意志がなければ注文できない。
アメリカのマクドナルドで、ハンバーガーが食べたければ、なんとかしてその意思を伝えなければならない。それが出来ない人には即興は出来ない。
即興にはルールはないが、一つだけルールのようなものがあるとすれば、日本語しか出来ない人に対して、英語で話しかけるのはご法度になる場合が多い。つまり、即興の現場で、シューベルトの歌曲を歌ったり、白鳥の湖の振り付けを踊るとか、そういったことは相手とのコミュニケーションを図ろうとする行為ではない場合が多い。突き抜けて、それをやり通すとしたらありになる場合もあるだろうが、その言葉を解する人としか取れないコミュニケーションの取り方は、その場においてはご法度だろう。
国籍も、言語も、思想も、文化も違う人同士とでも、ジェスチャーなら意思疎通出来て、コミュニケーションが取れる。それが即興の良さだ。それを楽器や、踊りにて表現するのが即興だ。
誰にでも出来ることだが、上手な人はその「ジェスチャー」で、結構なことを表現し、伝達することが出来る。
即興巧者の表現は、逆にそのジャンルを知らぬ観客に対して訴えることが出来ると思う。
ジャズを知らない人にジャズを聞かせるより、即興のほうが伝わりやすいと僕は思っている。
それでも即興が出来ない人は、実は自分の表現が、ただ覚えた文章を読み上げているだけであるのかもしれない。そもそも何かを伝達したいという意志のないことをやっているのだろう。
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