2024/7/19 19:00~ , 7/20 15:00~ 19:00~ 3回公演


LIVESPLASH東京開催します。
僕が作った芸術活動体である「にはたづみプロジェクト」のコンテンツの一つとして、月一度埼玉県与野図書館において「やにわにセッション」という形で開催しています。やにわにセッションは、アーティスインレジデンスであるAIRSPLASHの準備期間的なコンテンツでした。
ところがAIRSPLASHがコロナ禍のどさくさで開催が困難になったことにより、やにわにセッション単体での開催となりました。AIRSPLASHの実行委員会の中からこの活動に意味があるのか?という疑問が、実行委員長をはじめ、参加メンバーから上がるようになりました。
開催していても参加者は集まらない。そしてセッションに目的意識を持てない状態が続きましたが、僕はやめませんでした。月一度この場所を作り続けることに意味があることを僕自身は予感していたからです。
続けていくうちにみなが少しづつこの活動の意味を、実行委員長である津山はじめ、実行委員が理解し始めました。
今では主体的に皆がやにわにセッションを進めていっています。
僕は、やにわにセッションで何をやるか、を断固として自分では決定しなかった。
その理由は、僕は、やにわにセッション、AIRSPLASH、そしてLIVESPLASHにおいて、民主主義の体現をしたいと思っているからです。
アートとは、その本質は独裁的なものです。ベートーベンの第九はベートーベンの独裁的なものだし、それを振るフルトヴェングラーの独裁的なものです。中村真トリオは僕のやりたいことだし、ダンスカンパニーの公演は振付師のものですし、ゴッホの絵はゴッホ自身のものです。
そうでないアートを21世紀の新しい芸術活動の在り方として模索したい。
少しずつ参加者も増えてきました。
先日はプロレスラーまで参加するようになりました。
レベルの高い低いや、ジャンルすら飛び越えて、皆がアイデアを持ち寄り、誰が指導するでもなく、お互いにとっての学びの場となる、それが僕の考える「アートにおける民主主義」です。
民主主義とは、与えられるものではない。勝ち取るものだ。
そのことを多くの日本人は知らない。だから、こんな国になっている。こんな国がどんな国であるかはここでは述べないが。
まだまだ我々がその民主的なアートを勝ち取れているとは思わない。その証拠に、僕はほとんど一人称でこの文章を書いている。
まだまだ僕の手を離れることはないだろうが、僕の目指すところは、僕がいなくともこの活動が続いていくことだと考えている。
だが今では、我々がやろうとしていることは実はまあまあすごいことなんじゃないのか?ということに、身内は気づき始めている。
多分僕がここで書いていること、殆どのアーティストですら理解できないことだと思います。むしろアーティストこそ理解できないことかもしれない。
自らが独裁的であるからです。
LIVESPLASHが、7月に開催されます。
アートにおける民主主義への実験
7/19.20(金・土)江戸川橋 絵空箱 「LIVESPLASH TOKYO」
もっと先へ進みたい。
中村 真

