AIR SPLASH TOYAMA 2019 開催の前に
AIR SPLASH TOYAMA ぼくが11年前に大分県の中津江村で始めたこのイベント、中津江ミュージックキャンプは、10年間続いた。
中津江での開催は2年目で頓挫し、そこから金沢で4年、キャパオーバーとなり、富山県魚津に場所を変え、次は5年目となる。
ミュージックキャンプ、改、AIR SPLASHとは一体なんなのだろうか?
今までやってきた僕たちにとて、それはリアリティーのある何か、として捉えられるのではあるのだが、外から見た人にはそれは捕らえられにくい何かなのかもしれない。いや、きっとそうであるに違いない。
ぼくは、2006年、つまり今から13年前に、全国を自転車で旅しながらソロピアノの巡業を行なった。漠然とライブハウスやコンサートホールを行き来して演奏している自分に疑問を持った。アーティストとして、こんな感じでいいのかな?と思った。
その疑問が何か判別して行動したわけではない、こんな目的を持って自転車ツアーに出たわけではない、やってみようと「思った」からそれをやってみた。
ただそれだけ。
結果得たものは大きかった。ぼくをそれに突き動かしたモチーフも何だったのか、やってみてわかった。
それは、「やる場所、やる人、それに触れる人」を自分自身が再構築したいんだ、ということだった。
お金のために表現をするのではない。資本主義的な概念に沿って、表現者が表現自体の方向を、歪めさせられていて、それに気づいてすらいない、ということに、違和感を持ったんだ。また表現に触れる人たちも、そういったいわゆる「売れてる」ものが至上であるという「錯覚」に陥っている。そして表現する場所然り。
ぼくは、1から全部自分の手でそれらを作り直したい、と思ってたんだ。
ぼくはにはたづみプロジェクトを発足した。それは、文字通りやる場所、やる人、それに触れる人」を再構築することと、芸術家の非営利による活動保証、それと、多ジャンルによる21世紀の新しい芸術表現のあり方の模索、この三つを主軸に活動、表現していくためのプロジェクトだ。
AIR SPLASHでは、短期的な「AIR」ARTIST IN RESIDENCEにより、総合的な芸術創作を模索する。徹底したセッションとディスカッション。これはトップダウンのアートキャンプではない。
参加者が主軸となり進めていく自主的主体的な「アートプロジェクト」なのだ。参加者自体が主役であり創作者なのだ。皆で作っていく、進めていく、このプロジェクト自体が、アートなのだ。
AIRに参加することは、何か教えてもらうため、ではない。無論その側面は存在する。ゲストアーティストはそれを先導するだろうが、それよりも重要なのは、参加アーティストそれ自体が、学び合い、教え合う、主体性を持って臨む。そして、参加アーティストが、何かを創作する。
皆で、アートの「にはたづみ」(水たまりを意味する古語)を形成した。10年間我々はそれを作ってきた。
だがそのにはたづみは「SPLASH」する時が来たのだ。
言葉にするのは難しい。が、このプロジェクトに参加したほぼみんなは、何かを持ち帰る。レベルの高い低い関係ない。
一線のプロジャズプレイヤーも参加する。と思えば、ピアニカしか吹けないおじさんも参加した。
ダンサーはダンスするのみに非ず、ダンサーも音楽にチャレンジしてもいい。
ぼくは、ダンスとか美術とか、音楽とかという壁を取っ払いたい。ダンサーはさ、とか、ミュージシャン的には、とかいう言葉取っ払いたい。
みんな、表現者として生きている。
もし可能ならば、音楽でも美術でもダンスでもない、何か、に到達できればいいのにな、そう思ってこのAIR SPLASHおよびLIVE SPLASHを主宰し続けて11年になるんです。
中村真
AIR SPLASH TOYAMA お申込みはこちら
https://form.run/@airsplashtoyama-6852
HP