はじめまして、落合康介と申します。
思い出話を交えながら、AIR splashへの思いをお話させていただきます。よろしくお願いします。
中村真さんの主催されるミュージックキャンプには、10年くらい前でしょうか、石川県金沢湯涌創作の森という場所でのミュージックキャンプにはじめて参加しました。
そのころの自分は学生でコントラバスを弾き始めてまだ5年目くらいでした、その時からの音楽仲間である生島佳明さんというギタリストに誘ってもらいました。
その当時、生島さんとは、ひたすら音楽の話ばかり練習ばかりでした。彼は自分のあり方と表現方法を模索しながら、常に外に開いた感覚を持っていました。そんな彼がミュージックキャンプは面白いと言うならと参加しました。
学生の身分だったので交通費を浮かせるべく、生島さんはもう1人のミュージシャン仲間である大谷訓史さんというベーシストを誘い、コントラバス二台に、ギター、アンプ二台、3人分の荷物、、とにかくキツキツな状態で3人で12時間かけて下道で行くことになりました。ちょうど紅葉がはじまったくらいのタイミングだったので、アルプスを超えて走る外の景色は最高でしたが、座席を超えてくるコントラバス二台の圧力で車内の体勢は最低でした。
なので、キャンプ地の創作の森についたころには疲れ切っていたはずなのですが、着けばとても気持ちのいい場所、キャンプにうってつけな素晴らしいロケーションでした。生島くんは一目散に創作の森にあった大きなブランコをいきなり漕ぎ出し、そこから時間感覚を忘れてひたすら音楽、表現と見つめ合うキャンプ生活がはじまりました。
キャンプには日本各所から、年齢も様々、自分が年下だったかなと思うのですが、表現とは、音楽とは、アートとは?そんな前では年齢という区別もなく、みんなが自分と真剣に向き合い、表現と向き合う厳しさを持ちながらも、けど気さくに、みんなが対等に表現し合い語り合う関係を作っていく雰囲気がありました。
これはきっと僕が参加する以前のキャンプから中村さんが中心になり作ってきた雰囲気なのだろうと感じました。
北海道のトロンボーン奏者の夏美さんのファンファーレで開会すると、セッションがはじまりました。
当時自分はジャズという音楽以外には全く興味がなく、なんならそれ以外はカッコ悪いくらいに思っていたので、緩めのセッションで大したことないなとなめくさってました。その頃の自分はがむしゃらに練習してがむしゃらに吐き出すだけの毎日だったので、ジャズかどうかの前に音楽なんだからという視点はありませんでした。
しかし、行きの車なみにキツキツに詰め込んだものを吐き出してばかりいると、演奏を重ねる中ではたと、何か違和感を感じるようになり、ここで行われているセッションは普段のものとは何かが違うとはっきり思うようになりました。
みんなが何かを語りかけてきているし、それは普段演奏している時とは違う感じの語りかけでした。その実態が分からないから、演奏が終わったら話す、自分が予期しない視点にぶつかって、また演奏する。すると次第に音での会話が少しずつ見えてきて、その人と創作する、音楽するという根本的なところが聞こえはじめてきました。
そして、そのやりとりがうまく味わえたりすると、この感覚が、音楽ジャンルや、生活スタイル、人種、宗教といった区別のための会話ではなく、表現に向けた建設的な会話だったことを感じ、今まで詰め込んで吐き出していたのは自分の区別のための言葉で、一緒に創るレベルにすらなっていないのかと、違和感の正体に気づきました。
このキャンプには素性の知れない様々な人が来ているにもかかわらず、閉塞感もなく、むしろ表現の可能性に満ちた面白さを感じられるのは、音を出している時のみでなく、料理や買い出し、ご飯を食べること一つとっても、参加者の誰からにもよって創作されるものであり、キャンプ全体が表現の塊のようなものになっているという面白さにあるなぁと思いました。
自分はその頃は学生という身分であと先考えずに好きに音楽をやっているだけでしたが、このキャンプを通じて、音楽への取り組み方、意識が変わった体験になりました。
それから、自分の音楽活動もジャンルに拘らず、よりたくさんの様々なアーティストと関わる機会が増え、すっかりキャンプのことなど忘れていたのですが、ふと横浜へライブを見に行った時に中村さんからキャンプに誘われて、キャンプで知り合った仲間にも会いたいと思い、2回目に参加したのは、富山の魚津でのミュージックキャンプでした。
前に参加してから4、5年たっていたでしょうか、すっかりつらかった思い出を忘れて、また懲りずに高速道路は使わず、ギタリストの生島佳明さんと、今度は寺井雄一さんというサックスプレイヤーと出発してしまいました。今度は僕は免許取ったばかり、真夜中で、霧で2メートル先も見えない山道でトラックに煽られたのは本当に怖くて、もう本当に下道はやめようと思いました。
2回目のときは生島佳明さんをはじめ、よく一緒に演奏している仲間や、前のキャンプで知り合った音楽仲間もたくさんいて、自分も学生ではなく、バイトをしながら演奏していました。また、ちょうどキャンプの前日にジャズアート仙川の中で、アーティストが子供たちの遊具になるという過激なイベントに出ていたり、齋藤徹さんのコントラバスアンサンブルに参加したりと、そのころはジャズよりも、コントラバスと即興というものにすごく興味関心がある中での参加でした。
特にコントラバスという楽器そのもなの可能性に興味があり、めちゃめちゃ練習した記憶がほとんどです。というのも、魚津の学びの森はホールがあり、音楽室があり、寮があるので、キャンプというよりは合宿の雰囲気なので、どうしても練習熱が上がります。
セッションも、全く違った感覚を頼りに演奏をし発見を繰り返していました。それができたのも、キャンプの本質的なところはやはり同じだったからで、やはり朝から晩まで濃密に音楽表現について語り合いました。1回目のときよりは、どう生きているか、これからどうしていくか、そんなことが語られて、ちょっと青くさかったですかね笑
中村新太郎さんのお金に翻弄されてswing領域から外れていくという話から、生島佳明さんが、それだったら生島領域を作っていくという発言もありました。みんなそれぞれ自立していっているなと感じ面白かったです。中でも、印象的だったのは、地元の中学生を学びの森へ招待して音楽をしたことでした。キャンプは知り合いの知り合いが集まっていてできていたのですが、地元の方との交流というのが新鮮に感じました。
3回目は去年、ゲストアーティストとして参加しました。
今まで、キャンプで感じたこと、名前もAIR splashにかわり、ダンサーもたくさん加わり、より表現感覚にも多様性が現れて、自分もまた音楽で生活をするようになり、今の自分にはキャンプに何を置いてこれるか、渡せるかと一年練りました。
どうしたら音をつうじて平等に誰とでもコミュニケーションがとれるかというテーマが自分の中にあったので、楽器以前の物音を生かした縄もんセッションというのを都内ではじめました。そうして、縄文時代の本を読み漁り掘り下げていくと、縄文時代には争いが少なく、また精霊文化、贈与の感覚があったことを知りました。例えば誰かにものをプレゼントする時には、ものと一緒に魂も宿る。その魂を独り占めしてはいけない、次の誰かにパスしないといけないよという考え方があったそうです。これは、インディアンやアイヌの人達にもある考え方で「ハウ」と読んでいるのですが、この感覚は、皆で持ち寄って与え合って生み出すこのキャンプにぴったりではと思い、縄もんセッションのアイデアから、富山の地の利を生かし、石セッションというのを計画しました。とてもここには書ききれないので、その様子については写真を添えてブログにまとめました。
https://skbss117.exblog.jp/27775315/
3回目で印象的だったのは、生島佳明さんの演奏でした。ソロギターアルバムからダンサーの鈴木美詠子さんとどぶねずみという曲を演奏していました。その演奏は10年前の生島さんが地道な努力を重ね大きく成長した姿でとても驚きました。その成長する角度も自分のものとはまったく違ったのです。キャンプを通じてお互い成長したと実感こそしますが、その成長の形は決して同じ方向ではありません。このAIRでの学びは「何か」に向かって押し付けられるものではなく、多種多様にそれぞれの方向に成長していける場所、そういうことが感じられるのもAIR splashの魅力だと思います。
最初は受け身でも、みんなのエネルギーに押されて自然と何かやりたくなって、つくりあげられていく。それが具体的な「何か」になることが大事な目的なのではなく、自分達の表現感覚はずーっと生まれるより前から当たり前にあって、そして途中であって、未来へずっと続いていくものだと気づけることが大事だったりする。
知らず知らずに消費され摩耗していく現代社会で、そんなことに改めて気づけたり、開放させてくれる場所、AIR splashでの時間は貴重なものだと思います。毎回ほんとに10日が10年くらいに感じる充実感です。
このような状況で開催は厳しい状況にあります。またアーティストも活動の場が制限され、アートのあり方、生き方そのものについて考えさせられております。どうかこのAIR splashの火が続きますよう願っております。
落合康介